キャリアの頂点に立っていた2016年
それでも心にはぽっかりと穴が空いていました。
2016年、私は整形外科専門医、医学博士、産業医として、周囲からは「もう十分だろう」と言われるほどのキャリアを築いていました。
しかし、心の内では誰にも言えない、大きな空虚感と葛藤を抱えていたのです。
そんなある日、奇跡的な運を掴み、米国スタンフォード大学のPM&R(Physical Medicine and Rehabilitation:運動器リハビリテーション医学)スポーツ医学診療部門に、研究する医師として渡米が実現しました。
表向きは、“体の医療”の専門医です。
Redwood City(カリフォルニア州)にあるPM&Rのビルの前に立った瞬間の高揚感は、今でも鮮明に覚えています。
前例がなかったため、表向きには「日本人初の快挙」と言われましたが、私にとっての本当の転機は、別のところにありました。
──それは、スタンフォードで出会った「心の知性」との出会いだったのです。
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| PM&Rスポーツ医学診療部があるビルディングの前にて:Redwood city, CA |
「感情知性(Emotional Intelligence)」との出会い
スタンフォード大学で出会った公開講座「Enhancing Emotional Intelligence(感情知性の向上)」。
学生たちがAmazonで教材を購入し、自ら授業に持参するというスタイルにまず驚かされました。
「知識は与えられるものではなく、自ら取りに行くもの」
この学びの文化の違いにも、強い衝撃を受けました。
そして私は、「自分の感情をどう理解し、扱うか」「他者の感情とどう関わるか」という、それまでの医療現場では学ぶことのなかったテーマに初めて出会いました。
心理学でもカウンセリングでもなく、まさに「心の知性」を養う場が、そこにはごく自然に存在していたのです。
この経験は、私の価値観を根底から覆しました。
目から鱗の学び、「もう一つの医学」
それまでの私は、「医学とは病気や怪我の人のためのもの」と信じて疑いませんでした。
しかしスタンフォードでのこの学びは、「もうひとつの医学」のような、
「医学 × 知性」のニュージャンルのような、まったく新しいジャンルとして出会いました。
次第に、講義では毎回最前列の席を確保するようになりました。後日、Laura教授からも「あなたの熱視線がいちばん素晴らしかった」と褒められるほど、私は引き込まれました。
“体の医療”の専門医である私にとって、”心の知性”(Emotional Intelligence)が、それほどまでに、魅力的だったのです。
Beyond Medicine の概念と誕生背景
「医学 × 知性」という新しいジャンルは、単なる学問領域の組み合わせではなく、一つの“文化”でもあると私は感じています。
もし医療制度が整っていない国に住んでいたら、あなたはどうやって自分の健康を守ろうとするでしょうか?
きっと、病気や怪我を避けるために、予防に最善を尽くすはずです。
なぜなら、いざ病院に行っても、医療費が驚くほどの高額だったり、信頼できる医師に出会える保証がなかったりするからです。
私はこの「医学 × 知性」の新たな在り方を、“Beyond Medicine(医学を超えたもの)”と名付けました。
「Beyond」という言葉には、「越えて」「上回って」という意味があります。
そして後に、この理念を軸とした会社を2020年に設立することになります。
日本における医療文化との対比
一方で、日本は世界に誇れる医療制度を持っています。これにより、独特の文化も生まれています。
1 コンビニ感覚
コンビニ感覚でクリニックを受診する患者層が現れたことにも、文化的な特性を感じました。
アメリカに住んでいたときは、治療費や処方薬が非常に高額だったため、インフルエンザで高熱が出たときも、生牡蠣に当たったときも、受診を控えました。
その際、さまざまな国出身の仲間たちが差し入れしてくれた “風邪といえばこれ” の料理に救われました。
チキンスープ、辛いお粥、香辛料たっぷりのスープなど、それぞれの文化と愛情が詰まっていたのを今でも覚えています。
また、仕事でロンドンに長く滞在していたときにも、再び高熱が出ましたが、やはり医療機関への受診は控えました。
日本なら、点滴を2〜3本打てば、2〜3時間で回復できるとわかっていたのですが。
2 老人の憩いの場
また、公的医療費が充実していることで、医療機関が高齢者の交流の場として活用されるようになっている現象も、日本ならではの文化だと感じました。
3 「医学 × 知性」はまだ存在しない
一方で、「医学 × 知性」のような新しいジャンルは、今の日本にはまだ存在していません。そして、個人的には、この先すぐに広がるとも思っていません。
なぜなら、日本には国民皆保険制度があります。世界最高峰の医療施設と、優れた医療従事者による高度なケアを、非常に安価に受けられるからです。
この“お値打ち”環境が、自己予防や自己管理への意識を育ちにくくしている可能性があるかもしれないと感じます。
とはいえ、これは文化の一部でもあり、私ひとりにできることには限りがあります。
ニュージャンルの日本語表現について
この「医学 × 知性」を、日本語でどのように表現すればよいのでしょうか。
私自身も、いまだに探究中のテーマです。
(もし直接お会いする機会があれば、皆さまのご意見もぜひお聞かせいただければ嬉しいです)
ここでは、欧米での実際の広がりとともに、いくつかの表現例を紹介します。
- 医学 × 心理学 × 教育学→ 「感情教育」「ウェルビーイング教育」として広がりつつある
- 医学 × 心理学 × 社会学→ 「ヘルスリテラシー」や「レジリエンス研究」につながる
- 医学 × 心理学 × 経営学→ リーダーシップ研修や人材育成の現場でも活用されている
やはり欧米の文化圏で発展しているため、表現には英語やカタカナが多くなりますが、ニュアンスが伝われば幸いです。
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| Enhancing Emotional Intelligence教材の表紙:当時2016年、Amazonで購入し、 授業の時に持参するという形に驚きました。 |
スラトレ®の原点となった「心の知性」
この「心の知性=Emotional Intelligence(EQ)」とは、自分自身の感情の波を理解し、適切に扱う力です。
これは医師や心理士といった専門職に限らず、むしろ一般の人々が日常生活の中で身につけるべき基本的な力だと、私は考えています。
現代社会をしなやかに強く、生き抜くための、まさに“必須の教養”といえるでしょう。
スタンフォードでの経験を経て、私はこの視点を軸に「スラトレ®(スライブトレーニング)」という独自メソッドを開発しました。
スラトレ®は、心と体、そして思考の3軸から人を支える統合的な自己成長プログラムです。その原点に、スタンフォード大学で出会った“心の知性”があったというわけです。
ここで余談になりますが、スラトレ®は単なるきっかけかもしれません。もともと日本人は優れた感覚をお持ちの方が多いと個人的には感じています。それが何故か過労やストレス社会からか、活力が下がっています。
なので、本来を取り戻すと言った表現が適切かもしれませんね。
心の知性が教える、医療教育で見落とされる視点
それは、「自分の心とどう向き合うか」が、人生そのものを大きく左右するということ。
それは医療者としての在り方だけでなく、一人の人間として、すべての人類の生き方に深く関わる本質的なテーマです。
たとえば、「薬剤師が言ってくれなかったから」として、処方薬を飲み忘れる方がいます。しかし、それは本来、自己管理の問題です。ましてや、日本の医療では、ご丁寧な説明書までも付いてくるのですから。
もちろん、自己管理能力が著しく低下している方には、服薬管理という医療的ケアが必要ですが、能力があるにもかかわらず「やらない」のは別の話です。
このようなケースは、「手厚い医療」という言葉の解釈により、医療機関ごとの方針で対応が分かれます。
たとえば、「当院は手取り足取りサポートします」と掲げれば、そのような支援を求める層が集まるでしょう。
逆に、「ご自身での管理を重視します」と打ち出せば、自立志向の方が集まります。
こうした視点は、残念ながら学校でも教科書でも教えてくれません。
本当に大切なこと、必要なこと、一体なんでしょうか。
私なりの答えが、スラトレ®だったり、フィジカルトレーニングなどの「教室」「トレーニングプログラム」運営です。
最後に
このエピソードが、同じようにキャリアに迷い、心に揺れを抱えている方の、何かしらのヒントになれば幸いです。
※初出:2020年12月。最新情報に基づき2025年9月に再編集しました。

